道長の白犬が、主人の危難を告げた話

「犬は小神通の物なり」という一節が気になって、そのことを調べながら現代語訳してみました。藤原道長、安倍晴明、道摩法師(芦屋道満)と有名どころが登場します。また、白犬の活躍が本話のユニークさを際立たせています。
(『古事談』第6「亭宅諸道」の62)

法成寺の門前で道長に危険を知らせる白犬(類話を掲載している『宇治拾遺物語』の挿絵より)
(出所:『宇治拾遺物語13』[独立行政法人国立公文書館所蔵] 「国立公文書館デジタルアーカイブ」収録)

現代語訳

 入道殿法成寺を建立し、日々お参りされていたころ、白犬をかわいがって飼っていらした。お寺にも毎日お供をしていた、ということだ。ある日、寺の門にお入りになろうとすると、例の犬がお供をしていたが、入道殿の前に進み出て走り回ってほえたので、しばらくお立ち止まりになり、様子をご覧になったが、どうということもなかったので、そのまま歩み入られたが、犬は、入道殿の直衣(らん)をくわえて引きとどめ申し上げたので、「きっと理由があるに違いない」と思って、(しじ)を持って来させて腰をお掛けになり、すぐに晴明朝臣をお召しになり、子細を問われた。晴明が目をつぶり、熟考して申すには、
「あなた様を呪詛申し上げる者が、厭術(えんじゅつ)を道に埋めて、そこを越えさせ申し上げようと仕組んであるのです。今、あなた様のご運がこの上なくいらっしゃるので、御犬がほえてそれを明らかにしたのです。犬はもともと、ちょっとした神通力を持っているものなのです」
と言って、その場所を指し示して掘らせていると、土器(かわらけ)を二つ打ち合わせて、黄色のこよりで十文字にくくったものを掘り出させた、ということだ。晴明は、
「この術は特別な秘法です。晴明のほかに、今の世で知る人はいないのでは。しかし、もしかすると、道摩(どうま)法師の仕業かもしれません。誰の仕業か、明らかにしましょう」
と申し上げ、懐紙を取り出して鳥の形にくり抜き、(しょう)を唱えて投げ上げたところ、白鷺になって南の方向に飛んで行く。
「この鳥が落ちてとどまるところが、術者が住むところだと思ってください」
と申したので、召使いの者たちが白い鳥を注視しながら走っていくと、六条坊門小路と万理小路の交差する辺りの、河原院の古い両開きの折戸の内側に落ちてとどまった。そこで、建物の中に踏み入って、鳥形の紙を探し拾うと、そこに僧が一人いた。すぐに捕らえて事情を問われたところ、道摩は、堀川左府に説得されて術を施したことを、あっさりと白状した。そうではあったが、処罰はなされず、本国〔播磨〕に追いやって、事をしまいになされた。ただし、二度とこのような呪詛を行ってはならないことを、誓状をもって誓わせた、ということだ。

注釈

  1. 入道殿:藤原道長(966〜1027)。寛仁3年(1019)に出家。
  2. 法成寺:御堂とも。道長の出家とともに寛仁3年(1019)から造営開始、治安2年(1022)完成。天喜6年(1058)全焼。鎌倉時代末に廃絶。「現在の京都市上京区寺町通の東側の中御霊町、東桜町、宮垣町、荒神町、松蔭町北端部あたり」(角田文衛「法成寺」古代学協会・古代学研究所編『平安時代史事典』下、角川書店、1994年、2291ー2292頁)にあった。
  3. 直衣:天皇や上級貴族が用いた平服。束帯姿に対して、普段着の姿をいう。
  4. :袍や直衣の裾に、足さばきのよいようにつけた横ぎれ。イラストでの確認は、下記リンク先を参照。
    風俗博物館「日本服飾史」
  5. :牛車の轅(ながえ)を載せる台。乗り降りの時の踏み台にも使用した。
  6. 晴明朝臣:安倍晴明(921〜1005)。平安中期の陰陽家。賀茂忠行・保憲父子に師事。天文博士。土御門家の祖。ただし、法成寺建立時にはすでに故人。
  7. 厭術:まじない。
  8. 土器:素焼きの陶器。
  9. 道摩法師:芦屋道満(生没年未詳)。晴明と同時代、一条天皇の頃の伝説的な陰陽家。
  10. :占いの言葉。
  11. 河原院:源融(822〜895)造営の広大な邸宅。ただし、その後、荒廃。現在の京都市下京区五条通寺町下ル付近。
  12. 堀川左府:藤原顕光(944〜1021)。道長の従兄弟に当たる。長女元子を一条天皇の女御に、次女延子を東宮である敦明(あつあきら)親王の妃としたものの、道長の圧力で後宮対策に失敗。道長に深い恨みを持ち、死後道長一族に祟ったと伝えられる。
  13. 播磨:旧国名の一。山陽道に属し、現在の兵庫県の西南部に当たる。
プラスα:「犬は〜神通力を持っている」:犬が不思議な力を示した説話の例
・日本武尊が信濃の山中にて、白鹿に化して尊を苦しめようとした山神を退治したものの、道に迷ったところ、白犬に導かれて、美濃国に出ることができたこと(『日本書紀』巻第7 景行天皇40年是歳の条)
・犬飼猟師(高野明神)が連れている黒白2匹の犬が案内役となって、弘法大師を高野山の地に導いたこと(『今昔物語集』巻第11-25「弘法大師始建高野山語」)
・郡司の妻が飼っていた白い犬が、ただ一匹残った蚕を喰ってしまったものの、鼻の穴からたくさんの上質の絹糸を出し、また、犬は死後、桑の木の下に埋められたが、その木には蚕が上質の繭を作ったこと(『今昔物語集』巻第26-11「参河国始犬頭糸語」
・慈覚大師が、纐纈城に捕らえられた時、薬師仏の化身である犬に導かれて逃がれたこと(『打聞集』第18)

資料

資料1 晴明、白鷺を飛ばして犯人を捜す(類話を掲載している『十訓抄』の挿絵より)

出所:礒野氏, 摂陽(大坂) 『十訓抄』(早稲田大学図書館所蔵)
「ARC古典籍ポータルデータベース」収録 

資料2 『峯相記』に見える晴明と道摩に関する記述
 道摩(道満)は晴明とともに一条朝に並ぶ陰陽師であること、道長への呪詛は伊周の依頼によること、道摩は播磨国佐用郡の奥に流されて死に、子孫は英賀(あが)・三宅方面に住んで、陰陽師の業を継いだ旨、記されている。

出所:『峯相記』(独立行政法人国立公文書館所蔵)「国立公文書館デジタルアーカイブ」収録(https://www.digital.archives.go.jp/img/734421/42

 

地図、時代区分

・法成寺趾

・河原院趾

平安時代の話。

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