近江国の篠原の墓の穴に入る男の話

タイトルからは一体どんな話か想像がつかない話。なぜ墓の穴に入るのか、そもそも生きている大の男が入れるほどの大きな墓の穴などあるのか。読んでみると、現代ではなかなかあり得ないものの、中世には「そういうことも確かにあっただろう」と思える話であることが分かります。時代を超えて伝わる「説話」を読む楽しさが感じられる作品です。(『今昔物語集』巻第28-44「近江国篠原入墓穴男語」)

笠をかぶり、蓑をまとう男 (出所:覚猷 ほか『志貴山縁起』[3],写. 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2574278/1/12

現代語訳

 今は昔、美濃国の方へ行った下賤の男が、近江国の篠原というところを通り掛かった時、空が暗くなって雨が降ってきた。「雨宿りできそうなところはあるかな」と見回したところ、人里離れた野の中であるため、立ち寄るべき所もなかったが、墓の穴があるのを見付け、それにはい入って、しばらくするうちに日も暮れて暗くなった。
 雨が止むことなく降っていたため、「今夜だけはこの墓の穴で夜を明かそう」と思い、奥の様子を見ると、広い。とてもよくくつろいで、物にもたれて座っていると、夜も更けた頃、何かが入ってくる音がする。暗いため、何物かも見えず、ただ音だけがする。「これは鬼に違いない。馬鹿なことに、鬼がすみかにしている墓の穴とは知らずに入り込んで、今夜、命を失ってしまうことになるとは」と心に思い、嘆いていたところ、この入ってきたものがどんどん近づいて来るので、男は「恐ろしい」と思うこと、この上なかった。しかし、逃げるすべもなかったので、端に身を寄せて、音も立てずに身をかがめていると、このものが近くまで来て、まず物をどさりと下ろして置いた。次に、かさかさと鳴る物を置く。その後、腰を下ろす音がした。これは人の気配である。
 この男は下賤の者だが、思慮も分別もある輩(やから)で、今の状況を思いめぐらし、「これは、だれかがある所へ行く途中に、雨も降る、日も暮れるということで、俺が入ってきたように、この墓の穴に入ってきたのだ。先に置いたのは、持っているものをどさっと置いた音だろう。次のは蓑を脱いで置く音が、かさかさと聞こえたのだろう」と思ったが、それでもなお、「これは、この墓の穴に住む鬼かもしれない」と思ったので、ひたすら音をさせず、聞き耳を立てて座っていると、この今来た者が、男なのか、法師なのか、童なのかは知らないが、人の声で、
「この墓の穴には、もしやここをすみかとしておられる神様などがおいででしょうか。それならば、これを召し上がりください。私はある所へ参る者で、こちらを通り掛かったところ、雨が強く降り、夜も更けてしまったので、今夜だけと思って、この墓の穴に入ったのでございます」
と言って、何かをお供えするようにして置いたので、最初に墓の穴に入っていた前の男は、その時にやっと少し心が落ち着いて、「それで分かった」と合点がいった。
 さて、その置いた物は近くにあったので、こっそりと「何だろう」と思って手を差しやって探ってみると、小さな餅が3枚置いてある。そこで、前の男は、「人が旅する途中に、持っている物をお供えにしたに違いない」と理解し、自分も歩き疲れて腹が空いていたのにまかせて、この餅を取って気付かれないようにして食べた。
 後から入ってきた者は、しばらくしてからこの置いた餅を触って確かめようとしたところ、ない。その時に、「本当に鬼がいて、食ってしまったのだろう」と思ったのか、にわかに立ち上がりそのまま逃げた。持っていた物も取らず、蓑も笠も捨て置いて、逃げ去った。なりふり構わず逃げ去ったので、前の男は、「やはりそうだった。人が入ってきたものの、俺が餅を食ったので、怖くなって逃げたのだ。うまいこと餅を食ったのがよかったな」と思って、その捨て去った物を探ってみると、物がいっぱいに入った袋であり、それは鹿の皮で包んである。また、蓑も笠もある。「美濃国の辺りから、上ってきた奴だろう」と思い、「ひょっとしたら様子を伺っているかもしれない」とも思ったので、まだ夜の明けないうちに、その袋を背負って、その蓑笠を着て、墓の穴を出て行ったが、「あるいは奴が人里に行って、このことを話し、人などを連れてくるかもしれない」と思ったので、人里からはるかに離れた山の中に行き、しばらくいたところ、夜も明けた。
 そこで、その袋を開けてみると、絹、布、綿などをいっぱい入れていた。思いがけないことなので、「これはわけあって天が与え給うたのだ」と思って、喜んで、そこから元々行こうとしていたところへ向かって行った。思わぬ儲け物をした輩である。後から来た者が逃げ出したのも、もっともなことだ。実際、誰でも逃げ出すだろう。前の男の心はなんとも不気味なほどふてぶてしい。
 このことは、前の男が年老いて、妻子の前で語ったたのを聞き伝えたものである。後の男はついに誰とも分からずじまいである。それ故、賢い奴は、下賤の者ではあっても、このような時にも万事心得て、うまく立ち回って、思いがけない儲けをするものだ。それにしても、前の男は、餅を食って、後の男が逃げたのをどれほど「おかしい」と思っただろう。珍しい事であるから、このように語り伝えているということだ。

注釈

  1. 美濃国:岐阜県の南部を占める旧国名。
  2. 近江国の篠原資料1:現在の滋賀県中南部、野洲市の一地区。大篠原と小篠原の集落がある。小篠原には、甲(かぶと)山古墳、円山古墳の古墳を含む大岩山古墳群がある。交通の要衝で、『延喜式』兵部省に篠原駅の名が、『和名抄』には「之乃波良」として郷名が記載されている。『平家物語』巻10に源頼朝が伊豆国に流罪になる時、「しの原の宿」まで送られたとある。また、同巻第11には、壇ノ浦の戦いに敗れた平忠盛が、鎌倉から京都に送還中に篠原で斬られたとある。
  3. 墓の穴資料2:上記甲山古墳と円山古墳は横穴式石室を持つ古墳。本話の墓の穴も、現在の墓の穴のような小さな穴ではないことから、これらの横穴式古墳の穴と考えるとよさそう。
  4. 絹、布、綿:いずれも銭貨の流通が乏しい時に現物貨幣として用いられていたもの。

資料

資料1 『平家物語』巻第11「大臣殿被斬」の段より、平忠盛が篠原で斬られたことの記述

山田孝雄 校訂『平家物語』下巻,岩波書店,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション (https://dl.ndl.go.jp/pid/1026842/148

資料2 墓の穴のイメージ(滋賀県野洲市小篠原字甲山にある大岩山古墳群内の甲山古墳の羨道)

出所:CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で

地図、時代区分

ここでは、滋賀県野洲市小篠原にある大岩山古墳群付近の地図を示す。
時代区分は不明。 

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