近江の鯉と鰐が戦う話

今回の説話は『今昔物語集』の「近江の鯉と鰐が戦う話」。 鰐(わに)はサメの古称とされますが、鯉とサメが戦っても、とても勝負になるとは思えません。鯉がすみかにしている竹生島の霊験譚等、何か特別な力が働いたものとして描写されているわけでもありません。しかもそれが鯉の勝利で終わるという不思議な話です。この話の成立背景に、何か固有の歴史や物語があるのか、ないのか、気になるところです。
(『今昔物語集』巻第31-36「近江鯉与鰐戦語」)

鯉(出所:中村惕斎 編,山形屋『訓蒙図彙 20巻 [11]』[国立国会図書館所蔵]「国立国会図書館デジタルコレクション」収録)

現代語訳

 今は昔、近江国志賀郡古市の郷の東南に心見(しんみ)の瀬がある。郷の南の辺りに瀬田川がある。その川の瀬である。
 その瀬に大海原のが上ってきて、琵琶湖の鯉と戦った。そのうち、鰐が戦いに負けたので、引き返して行き、山城国で石となった。鯉は戦いに勝ったので、琵琶湖に帰って行き、竹生島繞(しま)いて住んだ。こういうわけで、心見の瀬というのである。
 その鰐が石になったというのは、今、山城国□□郡の□□にあるのがそれである。また、その鯉は今も竹生島を繞いている、と語り伝えている。心見の瀬というのは、瀬田川の□□の瀬である、とこう語り伝えているということだ。

注釈

  1. 近江国志賀郡古市の郷:現在の滋賀県大津市南部、瀬田川西岸一帯を指す。
  2. 心見の瀬資料1:「近江国注進風土記」にみえる「心見里、志賀」で、現在の滋賀県大津市石山付近の瀬田川の急流のこととされる(”ふるちごう【古市郷】滋賀県:近江国/滋賀郡”、 日本歴史地名大系、JapanKnowledge、https://japanknowledge.com)。
  3. 瀬田川:琵琶湖南端石山寺付近から南下して宇治川となり巨椋池に注いでいた川。巨椋池が昭和に入り干拓されて以降は、大阪で淀川となり、大阪湾に注ぐ。なお、巨椋池があった当時も、淀川を通じて大阪湾にまでつながっていた。
  4. 資料2:鰐鮫(わにざめ)サメ類の古称。
  5. 山城国:現在の京都府南部の地域。
  6. 竹生島:琵琶湖北部、葛籠尾崎(つづらおざき)の南に位置する周囲約2kmの小島。古くから修験の行場として、また弁財天・観音を祀る霊場として知られる。
  7. 繞いて:「取り巻いて」の意。
  8. 山城国□□郡の□□:郡名・地名(郷名)の明記を期した意識的欠字。
  9. 瀬田川の□□の瀬:瀬の名の明記を期した意識的欠字。

資料

資料1 「心見の瀬」との関係が指摘される、「山槐記」元暦元年(1184)9月15日条の「近江国注進風土記」にみえる「心見里、志賀」の記述

出所:笹川種郎 編,矢野太郎 校訂,内外書籍『史料大成 第21 山槐記 : 一名貴嶺記・達幸記. 第1-3』(国立国会図書館所蔵)「国立国会図書館デジタルコレクション」収録

資料2 鮫と鰐

出所:中村惕斎 編,山形屋『訓蒙図彙 20巻 [11]』(国立国会図書館所蔵)「国立国会図書館デジタルコレクション」収録

●プラスα
「『鰐』も、近代以前の日本人にとって身近な存在ではなかった。実物を目にする機会がないこともあり、上代の文献においては「ワニ」は鮫や鱶(ふか)と同一視されている。『和名類聚抄』のような漢名、和名を記した辞書などによって鰐と鮫は類別され、『訓蒙図彙』もそれに従っている」(石上阿希『江戸のことば絵事典 『訓蒙図彙』の世界』、KADOKAWA、2021年、169頁)

地図、時代区分

滋賀県大津市石山付近の瀬田川の急流「心見の瀬」での話。
ここでは、瀬田川と大戸川(田戸川)が合流する浅瀬(かつて「供御の瀬」といわれたところ)の辺りでの話とみて、滋賀県大津市黒津付近の地図を示す。
時代区分は不明。

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