道命、和泉式部のところで読経し、五条の道祖神が聴聞したこと

道命阿闍梨は読経の名人。愛人の和泉式部との性行為後に、身を清めずにお経を読んだところ…… (『宇治拾遺物語』巻第1-1「道命、和泉式部の許に於いて読経し、五条の道祖神聴聞の事」)

『御伽草子 第18冊 (和泉式部)』より、和泉式部(手前)と道命(格子の向こうの若い僧)

現代語訳

 今は昔、道命阿闍梨(あじゃり)という、道綱卿の子で、色事にふけっている僧がいた。和泉式部のもとに通っていた。道命は、経を見事に読むことで知られていた。ある晩、和泉式部のもとに行って事を済ませて寝ていたところ、ふと目が覚めて、法華経を一心に読んでいるうちに、8巻全部を読み終えて、明け方にうとうととまどろんでいたところ、人の気配がした。道命が、
「あなたは誰ですか」と尋ねると、
「私は五条西洞院(にしのとういん)の辺りに住む翁です」と答えたので、
「何かご用ですか」と道命が問うと、
「このお経を今宵こちらで拝聴したことは、いつの世までも忘れられません」と言う。そこで、道命が、
「法華経を読むのはいつものことです。どうして今晩に限ってそのようなことを言われるのですか」と尋ねると、その翁、五条の(さい)は、
「あなたが身を清めて読経される時は、梵天、帝釈天をはじめとして高貴な方々が御聴聞なさるので、私などは近づくことができません。今宵は行水もなさらずにお読みになられたので、梵天、帝釈天も御聴聞なされませんでした。その隙に、私のようなものがおそば近くに参って拝聴できたことが、嬉しく忘れ難いのでございます」と言われたのであった。
 だから、ただかりそめに経を読む場合でも、身を清めてから読むべきということである。恵心僧都も「念仏、読経には、日常の定められた法を破ってならない」と戒められているのだから。

注釈

  1. 道命阿闍梨(あじゃり):平安中期の歌人。藤原道長の異母兄である道綱の子。比叡山の良源の弟子。読経の声に優れたという。長和5年(1016年)天王寺別当となった。阿闍梨は真言宗・天台宗における僧職の一つ。花山院と親しく、院の死を悼む歌が残る。中古三十六歌仙の一人。
  2. 道綱卿:藤原道綱。摂政兼家の次男。道長の異母兄。母は『蜻蛉日記』の作者。
  3. 和泉式部:平安中期の歌人。『和泉式部集』『和泉式部日記』の作者。20歳ごろに橘道貞と結婚。小式部内侍(こしきぶのないし)を生む。やがて冷泉天皇の皇子為尊(ためちか)親王、その死後は弟の敦道親王と恋に落ちた。敦道親王にも先立たれた後、藤原保昌と再婚。平安中期を代表する歌人の一人で、中古三十六歌仙の一人。奔放な恋愛と和歌はのちにさまざまな説話、伝説を生んだ。
  4. 五条西洞院(にしのとういん)の辺り地図:五条大路と西洞院小路が交差する地点。現在の京都府京都市下京区。
  5. 資料2:塞の神、道祖神。「さえのかみ」ともいわれ、「さえ」は遮るの意。悪霊が侵入するのを防ぎ、通行人や村人を災難から守るために村境・峠・辻などに祭られる神。
  6. 恵心僧都:源信。平安中期の天台宗の僧。良源に師事。道命の兄弟子に当たる。『往生要集』を著して後の浄土教成立の基礎を築いた。

資料

資料1 『伴大納言絵詞』にみえる貴族の寝室(右手奥の部屋)

出所:ウィキメディア・コモンズ

資料2 『信貴山縁起絵巻』にみえる塞の神(道祖神)の祠

出所:国立国会図書館デジタルコレクション

地図、時代区分

現在の京都府京都市下京区藪下町にある松原道祖神社(道祖神社)が、本話に登場する五条の道祖神(さえのかみ)に当たるとされている。
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道命、和泉式部が生きていた平安時代の話。

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