(『古今著聞集』巻第8 好色第11「刑部卿敦兼の北の方、夫の朗詠に感じ契を深うする事」)
現代語訳
刑部卿の敦兼は、容貌がいかにも醜い人だった。その夫人は、際立って美しい人であったが、五節(ごせち)を見ていたとき、それぞれに美しい人々がいるのを見るにつけ、どうにも自分の夫の容貌が醜く、情けなく思えてならなかった。家に帰って、一切口も聞かず、目も合わせず、そっぽを向いているので、刑部卿はしばらくは何事があったのかと合点できずにいたところ、夫人は次第に夫に対する厭わしさを募らせ、目に余るほどになった。それまでのように同じ部屋にもおらず、住む部屋を変えて過ごしていた。
ある日、刑部卿が出仕して、夜帰ってくると、出居(いでゐ)に灯りさえともしておらず、衣服を脱いだものの、たたむ人さえいなかった。女房たちも皆、夫人の目配せに従って、顔を出す人もなかったのである。刑部卿は、致し方なく、車寄せの妻戸を押し開けて、独り物思いにふけって座っていたが、夜もふけてきて、しんと静かな夜に、月の光、風の音、何もかもが身にしみわたって、夫人への恨めしさも思い合わされるまま、心をしずめて、篳篥(ひちりき)を取り出して、夜更け時にふさわしい、静かなしみじみとした調子で、
ませのうちなるしら菊も うつろふみるこそあはれなれ
(ませ垣の中の白菊も 色香が衰えてしまったのを見るのはわびしい)
我らがかよひて見し人も かくしつつこそ枯れにしか
(私が通って連れ添ったあなたの心も この白菊のように枯れ、私から離れてしまったのは悲しい)
と、繰り返し歌った。夫人はこれを聞いて、すぐに心が元通りになった。それ以来、夫婦仲は円満になったということである。殊勝な夫人の心によるものでしょう。
注釈
- 刑部卿地図:刑部省の長官で正四位相当の官。刑部省は、令制の八省の一つで、訴訟や罪人の処罰のことを司った役所。
- 敦兼:藤原敦兼。平安時代後期の官吏、雅楽家。篳篥(ひちりき)の名奏者として知られる。
- 五節資料1:新嘗会(しんじょうえ)や大嘗会(だいじょうえ:天皇即位後最初の新嘗会)で行われた、4人(大嘗会の場合は5人)の舞姫による舞楽を中心とする行事。
- 出居:寝殿造で、母屋の外の廂(ひさし)の間に設けられ、来客用等に使われた一室。
- 女房:貴族などの家に仕える女性。
- 車寄せ:貴族の屋敷で、牛車(ぎっしゃ)を寄せて、人が乗り降りする所。
- 妻戸資料2:板製の両開き(観音開き)の扉。
- 篳篥:雅楽の管楽器の一。ペルシアに起こり中国を経て、奈良時代初期にわが国に伝来した縦笛の一種。
- ませ垣:竹や木で作られる丈(たけ)の低い、目の粗い垣根。
資料
資料1 五節の舞姫と童女(『承安五節絵』より。門の左側の女性が舞姫、右側が付き添いの童女)
地図、時代区分
(刑部省のあった場所)現在の京都府京都市中京区西ノ京内畑町辺りでの話。
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藤原敦兼が生きていた平安時代の話。