柿の木に仏が現れること

実のならない木には神がとりついているとされた時代、実のならない柿の木に仏が現れた。しかし、時は末法。その正体に疑いをもった才知賢明の右大臣殿が、柿の木のもとを訪れる……
(『宇治拾遺物語』巻第2-14「柿の木に仏現ずる事」)

『慕帰繪々詞』にみえる柿の木(出所:国立国会図書館デジタルコレクション)

現代語訳

 昔、延喜の帝の御時五条の天神の辺りに、大きな柿の木で実のならない木があった。その木の上に仏が現れておいでになる。京中の人はこぞってお参りした。馬も車も止める隙間がなく、人もせき止められないほどで、大騒ぎして拝むのであった。
 そうこうしているうち、5、6日が経ったが、右大臣殿は納得できずにおられた。
「本当の仏が、今のような末法の世に現れなさるはずがない。私が行って確かめてみよう」
と、いつもの服装をきちんと召され、檳榔毛(びろうげ)の車に乗り、先払いの供を多く伴って、柿の木のもとを訪れた。そこで、群がっていた人々を退かせて、車から牛を外して轅(ながえ)榻(しじ)にのせ、梢をまたたきもせず、またわき目も振らずに、2時間ほどじっと見続けた。すると、この仏は、しばらくの間は花も降らせ、光をも放っていたが、あまりにも長い間じっと見つめられて疲れ果て、大きな羽の折れた糞鳶(くそとび)となって地面に落ち、あわてふためいてばたばたした。それを子どもたちが寄り集まって打ち殺した。大臣は、
「やはり思ったとおりだった」
と言って、お帰りになった。 そこで、当時の人たちはこの大臣を、本当に賢い人でおいでになると評判し合ったのだった。

注釈

  1. 延喜の帝の御時:延喜年間は901年から923年まで。ここでは、醍醐天皇(885〜930年)の治世の意。
  2. 五条の天神地図:京都市下京区天神前町に鎮座する天神。五条天神社。
  3. 実のならない木:万葉の昔から、実のならない木には神が宿るとされた。8世紀初期の公卿である大伴宿禰(おおとものすくね)の歌に「玉かづら実ならぬ木にはちはやぶる神そつくといふならぬ木ごとに(訳:実のならない木には、おそろしい神がとりついていると言いますよ。実のならない木にはどれも)」(万葉集巻2-101)がある。
  4. 右大臣殿:源光(みなもとのひかる)とされる。源光は、平安時代前期の公卿。仁明天皇の皇子で源朝臣の姓を賜わった。才智賢明の評があった。西三条右大臣と称される。
  5. 檳榔毛の車:「檳榔」は、ヤシ科の常緑高木で九州以南の海岸に近い森林に自生。檳榔毛の車とは、漂白して細かく裂いて干した檳榔の葉で屋根をふいた牛車。四位以上の貴族、高僧、女房などが用いた。
  6. 資料1:牛車の前方に付いている2本の長い柄。先端に軛(くびき)という横木を渡して牛に引かせる。
  7. 資料1:牛を車から外した時、車の轅をのせる台。乗り降りの時の踏み台にも使用した。
  8. 糞鳶資料2:鷹の一種。「まぐそとび」「のすり」とも呼ばれる中型の鷹。

資料

資料1 『年中行事絵巻』にみえる轅(ながえ)、軛(くびき:綱の下)、榻(しじ)

出所:国立国会図書館デジタルコレクション

資料2 糞鳶(くそとび)・のすり

出所:ウィキメディア・コモンズ

地図、時代区分

現在の京都府京都市下京区天神前町にある五条天神社辺りでの話。
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右大臣殿(源光)が生きていた平安時代の話。
源光は、菅原道真左遷の後、延喜元年(901年)に右大臣となっている。

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