力の強い女が力くらべをした話

今回の説話は『日本霊異記』の「力の強い女が力くらべをした話」。8世紀前半の聖武天皇のころ、岐阜県での話。狐の血筋を引いた百人力の女と、雷神の申し子で強力で知られた道場法師の孫の女との力くらべが描かれています。当時の「市」の様子を垣間見ることもできます。
 
(『日本霊異記』中巻第4「力ある女、力くらべを試みし縁」)

市の風景(『一遍聖絵』 に描かれた「福岡の市」)(出所:国立国会図書館デジタルコレクション)

現代語訳

 聖武天皇の御世に、美濃国片肩(かたかた)郡少川(おがわ)の市に、一人の力の強い女がいた。生まれつき体が大きかった。名を美濃の狐といった。<これは、昔、美濃国の狐を母として生まれた人の4代目の孫である>。力が強く、百人力であった。少川の市の内に住み、自分の力にまかせて、往来の商人を脅し痛めつけては、彼らの物を奪うのをなりわいにしていた。そのころ、尾張国愛智郡片輪の里にも、一人の力の強い女がいた。生まれつき体は小さかった。<これは、昔、元興寺にいた道場法師の孫である>。女は、美濃の狐が人の物を脅し痛めつけては奪い取るという話を聞き、力くらべをしてみようと、蛤(はまぐり)を50石、桶に入れて船に乗せ、少川の市に泊まった。また、あらかじめ備えをして、熊葛(くまつづら)の皮をむいて作った鞭(むち)を20本用意して荷に添えておいた。すると、美濃の狐がやって来て、その蛤を皆奪い取り、手下の者に売らせた。そうしてから、
「お前はどこから来た女か」
と、蛤の主の女に尋ねた。女は答えなかった。また問いかけたが、それでも答えなかった。重ねて4度尋ねたところで、ようやく、
「どこから来たのか知らない」
と答えた。美濃の狐は無礼な奴だと思い、女をぶつつもりで立ち上がり近寄ったところ、女は美濃の狐の両手を捕まえて、葛の鞭で1度打った。鞭に美濃の狐の肉がちぎれて付いた。もう1本の鞭でまた1度打つ。打つたびに肉がちぎれて付く。10本の鞭を打つたびに、肉がちぎれて付いた。美濃の狐は、
「降参です。悪いことをしました。恐れ入りました」
と謝った。これによって、美濃の狐より女のほうが力が優っていることが分かった。蛤の主の女が、
「これからは、この市にいることは許しません。もし、どうしても住むというなら、最後には打ち殺しますよ」
と脅した。美濃の狐はすっかり打ちひしがれてしまった。それからは、その市に住まず、人の物も奪わなくなった。市の人は、皆安穏になったのを喜んだ。そもそも、力のある人の血筋というものは、代々続いて絶えない。これでよく分かる、前世で大力となるような因縁を作って、それがこの世で現れ出たのだということが。

注釈

  1. 聖武天皇:第45代天皇。在位は、神亀元年(724年)から天平勝宝元年(749年)。
  2. 美濃国片肩郡:現在の岐阜県本巣市の辺り。
  3. 少川の市地図:「市」は市場。現在の岐阜県岐阜市黒野町古市場とされる。熊野神社を中心とする辺りに市が開かれたらしい。
  4. 美濃の狐:美濃国の狐直(あたい)の一族の女だったことからの通称。その起源譚は『日本霊異記』上巻第2話「狐を妻として子を生ませた話」を参照。
  5. 尾張国愛智郡片輪の里:現在の愛知県名古屋市中区古渡町付近とされる。
  6. 元興寺:奈良県高市郡明日香村飛鳥の地にあった本元興寺。
  7. 道場法師:生没年未詳。尾張国愛智郡片蕝の里に住む農夫の子で、元興寺の僧。農夫が雷神より授かった子として知られ、大力の持ち主。その逸話は『日本霊異記』上巻第3話「雷の好意で授けてもらった強力の子の話」を参照。
  8. 50石:1石は10斗(約180リットル)。50石なら500斗(約9000リットル)。
  9. 熊葛:固く太い蔓(つる)性の植物を指すとみられるが、具体的には未詳。

資料

資料1 蛤(『春日権現験記』より。櫃の中で指を差す先にあるのが蛤。右はアワビ、左はガザミ)

出所:国立国会図書館デジタルコレクション

資料2 小型の商船(『一遍聖絵』より)

出所:国立国会図書館デジタルコレクション

地図、時代区分

現在の岐阜県岐阜市黒野町古市場にある熊野神社の辺りでの話。
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聖武天皇の御世の奈良時代の話。

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