(『日本霊異記』中巻第4「力ある女、力くらべを試みし縁」)
現代語訳
聖武天皇の御世に、美濃国片肩(かたかた)郡少川(おがわ)の市に、一人の力の強い女がいた。生まれつき体が大きかった。名を美濃の狐といった。<これは、昔、美濃国の狐を母として生まれた人の4代目の孫である>。力が強く、百人力であった。少川の市の内に住み、自分の力にまかせて、往来の商人を脅し痛めつけては、彼らの物を奪うのをなりわいにしていた。そのころ、尾張国愛智郡片輪の里にも、一人の力の強い女がいた。生まれつき体は小さかった。<これは、昔、元興寺にいた道場法師の孫である>。女は、美濃の狐が人の物を脅し痛めつけては奪い取るという話を聞き、力くらべをしてみようと、蛤(はまぐり)を50石、桶に入れて船に乗せ、少川の市に泊まった。また、あらかじめ備えをして、熊葛(くまつづら)の皮をむいて作った鞭(むち)を20本用意して荷に添えておいた。すると、美濃の狐がやって来て、その蛤を皆奪い取り、手下の者に売らせた。そうしてから、
「お前はどこから来た女か」
と、蛤の主の女に尋ねた。女は答えなかった。また問いかけたが、それでも答えなかった。重ねて4度尋ねたところで、ようやく、
「どこから来たのか知らない」
と答えた。美濃の狐は無礼な奴だと思い、女をぶつつもりで立ち上がり近寄ったところ、女は美濃の狐の両手を捕まえて、葛の鞭で1度打った。鞭に美濃の狐の肉がちぎれて付いた。もう1本の鞭でまた1度打つ。打つたびに肉がちぎれて付く。10本の鞭を打つたびに、肉がちぎれて付いた。美濃の狐は、
「降参です。悪いことをしました。恐れ入りました」
と謝った。これによって、美濃の狐より女のほうが力が優っていることが分かった。蛤の主の女が、
「これからは、この市にいることは許しません。もし、どうしても住むというなら、最後には打ち殺しますよ」
と脅した。美濃の狐はすっかり打ちひしがれてしまった。それからは、その市に住まず、人の物も奪わなくなった。市の人は、皆安穏になったのを喜んだ。そもそも、力のある人の血筋というものは、代々続いて絶えない。これでよく分かる、前世で大力となるような因縁を作って、それがこの世で現れ出たのだということが。
注釈
- 聖武天皇:第45代天皇。在位は、神亀元年(724年)から天平勝宝元年(749年)。
- 美濃国片肩郡:現在の岐阜県本巣市の辺り。
- 少川の市地図:「市」は市場。現在の岐阜県岐阜市黒野町古市場とされる。熊野神社を中心とする辺りに市が開かれたらしい。
- 美濃の狐:美濃国の狐直(あたい)の一族の女だったことからの通称。その起源譚は『日本霊異記』上巻第2話「狐を妻として子を生ませた話」を参照。
- 尾張国愛智郡片輪の里:現在の愛知県名古屋市中区古渡町付近とされる。
- 元興寺:奈良県高市郡明日香村飛鳥の地にあった本元興寺。
- 道場法師:生没年未詳。尾張国愛智郡片蕝の里に住む農夫の子で、元興寺の僧。農夫が雷神より授かった子として知られ、大力の持ち主。その逸話は『日本霊異記』上巻第3話「雷の好意で授けてもらった強力の子の話」を参照。
- 50石:1石は10斗(約180リットル)。50石なら500斗(約9000リットル)。
- 熊葛:固く太い蔓(つる)性の植物を指すとみられるが、具体的には未詳。
資料
資料1 蛤(『春日権現験記』より。櫃の中で指を差す先にあるのが蛤。右はアワビ、左はガザミ)
資料2 小型の商船(『一遍聖絵』より)
地図、時代区分
現在の岐阜県岐阜市黒野町古市場にある熊野神社の辺りでの話。
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聖武天皇の御世の奈良時代の話。