(『日本霊異記』上巻第3「電の憙を得て、生ましめし子の強力在りし縁」)
現代語訳
昔、敏達(びたつ)天皇<この天皇は、磐余(いわれ)の訳語田(おさだ)の宮で天下を統治なさった淳名倉太玉敷(ぬなくらのふとたましき)の命(みこと)である>の御世に、尾張国阿育知(あゆち)郡片蕝(かたわ)の里に一人の農夫がいた。田を作り水を引こうとしていると、小雨が降ってきたので、木の下に雨宿りをして、鉄の杖を地面に突いて立っていた。その時、雷が鳴った。農夫は恐れ驚いて、鉄の杖を高く持ち上げた。すると、農夫の前に雷が落ちて、子どもの姿になってひれ伏した。農夫が鉄の杖で突こうとすると、雷は、
「私を殺さないでください。きっと恩返しをしますから」
と言う。農夫が、
「何を恩返しするというのか」
と問うと、雷は、
「あなたのために、子どもが宿るようにしてあげることで報いましょう。ですから、私のために楠の水槽を作り、そこに水を入れ、竹の葉を浮かべてください」
と答えた。そこで雷の言うとおりに船を作り、準備した。雷は、
「私に近寄ってはいけません」
と言って、農夫を遠ざけ、そこに雲霧を起こして天に還っていった。その後、農夫には子が生まれたが、その頭には蛇が二重に巻きついて、蛇の首と尾はともに背中に垂れ下がっていた。
その子が成長して10歳余りのころ、朝廷に力の強い人がいると聞き、「試してみよう」と思い、上京して御所の近くに住んだ。そのころ、王の中にすば抜けた力の持ち主がいて、御所の東北の角の別院に住んでいた。その東北の角に8尺四方の石があった。力持ちの王は、住まいから出て、その石を取って投げた。そのまま王は住まいに戻って門を閉じ、人を出入りをさせないようにした。上京してきた子はこれを見て、「有名な力持ちとはこの人のことだったのだろう」と思った。夜、人に見られないようにして、その石を取って投げたところ、王よりも1尺遠くに及んだ。力持ちの王は、その石を見て悔しがり手をもみ合わせてから石を投げたが、その距離は以前と変わらなかった。子がもう一度投げると、今度は2尺も余計に投げた。王はこれを見て、再び投げたが、やはり距離は伸びなかった。この子が立って石を投げたところを見ると、足跡が3寸ほど地面にめり込んでいた。石も王より3尺も余計に投げたことになる。王は足跡を見て、「ここにいる子どもが石を投げたのだな」と思い、捕まえようと近づくと、すぐに子どもは逃げ出した。王が追うと、子どもは垣根をくぐり抜けて逃げた。王が垣根を越えて追うと、子どもはまた垣根をくぐり直し、逃げた。力持ちの王は、ついに捕まえることができなかった。自分より力のある子どもだと思い、それ以上は追わなかった。
その後、子どもは、元興寺の童子となった。そのころ、寺の鐘堂(しょうどう)で、毎夜、鐘(かね)つきが死んだ。童子は、この様子を見て、僧たちに、 「私が、この死の災いをとどめてみせます」
と言った。僧たちはこれを許した。童子は鐘堂の四隅に四つの燈火(ともしび)を置き、配置した4人に、
「私が鬼を捕えたら、一斉に燈火の蓋(ふた)を開くように」
と言い含めた。そうして鐘堂の戸のところに座っていた。鬼は真夜中ごろにやって来た。が、童子の姿を見て戻った。また、夜明け前に入って来た。童子は、鬼の髪をつかんで引いた。鬼は外に逃げようとし、童子は内に引き入れようとする。燈火のところに配置した4人は、茫然自失となって蓋を開けることができない。童子は、四隅に鬼を引いていき、それぞれの蓋を自分で開けた。夜明けになって、鬼はすっかり髪を引き剥がされてしまい、そのまま逃げて行った。あくる日、鬼の血をたどって行くと、以前悪事を働き死罪にされた、その寺の奴婢を埋めた辻に至った。そこで鬼の正体がその奴婢であることが分かった。その時の鬼の頭髪は今も元興寺にあって宝物とされている。
その後、童子は優婆塞(うばそく)となり、そのまま元興寺に住んでいた。寺では田を作って水を引き入れていた。ところが、王たちが邪魔をして水をせき止めた。田の水が干上がった時、優婆塞は、
「私が田の水を引き入れましょう」
と言った。僧たちはこれを聞き入れ、10人がかりで持つほどの鋤(すき)の柄を作って優婆塞に持たせた。優婆塞はその鋤の柄を持ち、杖にしてついて行き、それを水門の入り口に突き立て、寺の田に水が流れるようにした。王たちは鋤の柄を引き捨てて、水門の入り口をふさいで、寺の田に水が流れないようにした。そこで優婆塞もまた100人余りで引っ張るような重さの石を取り、王たちの水門をふさぎ、寺の田に水が入るようにした。王たちは優婆塞の力を恐れて、二度と邪魔をすることはなかった。そのため、寺の田は水がかれることなく、よく実った。そこで、寺の僧たちは、優婆塞が得度して出家するのを許し、道場法師と名付けた。後世の人が「元興寺の道場法師は、強力この上ない」と言い伝えているのは、この話に基づくのである。「前世で非常によいことを積み重ねたために、得られた力である」ということを知っておくべきである。これは日本国の不思議な出来事である。
注釈
- 敏達天皇:第30代天皇。在位は、6世紀後半(572〜585年)。なお、このころ、585年には物部守屋等が仏寺・仏像を焼き棄て、587年には、いわゆる崇仏派の蘇我氏が物部氏(守屋)を滅ぼしている。そんな時代。
- 磐余の訳語田の宮:敏達天皇の宮。現在の奈良県桜井市戒重にあったとされる。
- 尾張国阿育知郡片蕝の里地図:現在の愛知県名古屋市中区古渡町付近とされる。『日本霊異記』中巻第4話では「愛智郡片輪の里」とある。
- 鉄の杖:農具の鋤、護身用の鉄杖とする説があるが、未詳。
- 鉄の杖を高く持ち上げた:鉄の杖には雷避けの呪術的意味があったとの説があるが、未詳。
- 蛇が二重に巻きついて:生まれた子が雷神の申し子であることを示すしるし。雷神はしばしば蛇体として観想された。
- 王:令の規定では親王(天皇の兄弟および皇子)から5世以内を王を呼んだ。
- 東北の角:いわゆる鬼門の方角。
- 8尺四方:1尺は約30.3センチ。8尺四方なら約2.4メートル四方となる。
- 元興寺地図:飛鳥にあった寺。法興寺(飛鳥寺)ともいう。奈良県高市郡明日香村の安居院(飛鳥大仏)がその跡とされる。平城京遷都後、奈良に移された新元興寺に対して本元興寺と呼ばれた。
- 童子:俗体の童形で寺の雑用を務める下級の職。成人でも童子と呼ばれた。
- 鐘堂:寺院などで、釣鐘をかけてある建物。鐘つき堂。
- 鬼資料1資料2:元興寺の鬼は「がこぜ」(「がんごうじ(元興寺)」の変化した語)と呼ばれた。
- 優婆塞:在俗のままで「五戒」を受け仏門にはいった男性。
- 得度:在家の者が出家して僧となること、「度」は迷いの世界から悟りの彼岸に渡ること。
- 道場法師:生没年未詳。本話にあるとおり、尾張国愛智郡片蕝の里に住む農夫の子で、元興寺の僧。雷神の申し子として知られ、大力の持ち主。
資料
資料2 大岡春卜『卜翁新画』より「元興寺童子」に描かれた童子と鬼
地図、時代区分
雷神が落ちた場所(尾張国阿育知郡片蕝の里):現在の愛知県名古屋市中区古渡町の辺り。
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元興寺:現在の奈良県高市郡明日香村の安居院(飛鳥寺)の地にあった。
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敏達天皇の御世の古墳時代の話。